(はざま)生きて  信仰と心
人との合縁と信仰との奇縁を通して

私が信仰に縁を受け始めたのは、アメリカ留学中の24歳の時である。当時同じ日本人留学生として合縁となった女性の母親が、渡米して来た時からの出会いである。その女性の母親は霊能者としても信仰に厚く、私の仕事の事で伺い始めた時からのご縁である。私はその女性の母親でもある事から何の疑いもなく、霊能者という事に興味を持ち、いろいろな体験談を聞かせて頂いた。
 そんな暫しの話しが弾んだ頃、その母親から一言「神様はいるよ」と教えられた。その一言がきっかけとなって、私に眠っていた潜在意識が呼び起こされ、この天空の中に神の眼が見えたような奇妙な幻想意識が呼び起こされた。そんな母親には「腹を据えているといい」と教えられ、毎日神様に向かって、和御魂(にぎみたま)荒御魂(あらみたま)幸御魂(さちみたま)奇御魂(くしみたま)と唱え、「守りたまえ、導きたまえ、幸いたまえ」とお願いすると良いと教えられた。

 この事が信仰への合縁奇縁となった数日後の事、私が今までも信仰に師事する荷田(かだ)先生夫妻との機縁があり、宿泊するホテルに知人達数人と逢いに行く事になった。そこで、私は美容師として知人との共同経営についての事を伺ってみた。その時の御神勅が「貴男(あなた)1人の力はこの位、貴女(あなた)1人の力はこの位、2人合わせるとこんなに大きくなる」と手を大きく拡げたかたちで表現してくれた。

その後日、今度はその母親を同伴して、荷田夫妻に再度逢う事になった。私は信仰や信心の事には無知だったので、両者の話を黙って聞いていた。その母親と荷田先生夫妻は、御嶽山登拝の体験を少し話した程度で、他に多くは語らなかった。過ごした時間も短く、その母親が後で言うには、あの人達は随分と修行をされている方達だと教えてくれた。荷田先生夫妻には宗教法人があり、その著者に「神のことば」という本があった。後日その本を頂くことができ、知人の母親からは、包みに封じた御礼と御嶽教と書かれた祝詞(のりと)集を頂いた。その御礼を部屋の机の上に奉り、それから毎日その本と祝詞に眼を通し始めた。

それから数日後、その母親の帰国を機会に、私も一時日本に帰国する事にした。
その機内では、たまたま一緒に乗り合わせた知人があり、「結婚して10年になるが、子供が授からないで悩んでいる」という話になった。その時、その母親が夫人に一言「出来ますよ」と言った事を憶えている。(再渡米してからのある日、その夫人の友人から子供の授かった事が伝えられてきた)

日本に帰国して間もなく、その母親から連絡を頂いて、京都の伏見稲荷大社へ一緒にお参りに行く事になった。それは春先のまだ寒い頃であり、伏見稲荷の境内をお参りしながら、ある(ほこら)の前でその母がお参りをした時の事である。その母が私に、神様が「よく来た、よく来た」と喜んでいるよと微笑んで言った。そして、そこから更に先へと進んで行くと、小さな滝場があった。
 春先のまだ寒い中を、白衣を纏った2人の年老いた女性が滝行をする光景にでくわした。その光景には強い信心を感じたもので、信仰に求める老女の強い精神を見せ付けられた時でもあった。 そんな記憶に残る伏見稲荷への参拝を終え、京都駅で別れて東京に戻って来たその数日後、既に帰国していた荷田先生夫妻が信徒一行と共に香取、鹿島神宮への参拝に誘ってくれた。私は祝詞も判らず、参道を進み、先生方を見習いながらの参拝であった。

それから数日を実家で過ごし、再渡米した日からは毎日のように、机の上に奉った御札の前で、御嶽教の祝詞集を読み耽るようになっていった。神に唱える祝詞というものは、読めば読むほど深みを感じてゆく妙味なもので、益々、好奇心を掻き立たせるものがあった。神様に向かって唱える祝詞とはこうゆうものかと、その祝詞の意味に(ふけ)って手を合わせていると、心が自然と心地よく開けて落ち着いてくるもので、天地の神々によって身が清められてゆくような染み入るものを感じた。

そんなある日の事、ふと机の上に奉ってある御礼の中身に興味が注がれ、神様を冒涜(ぼうとく)する恐れを抱きながら手を合わせ、心の中で罪の許しを乞うて、そっとその神札を開いて見た。
 そしたらその中には、只の葉っぱ一枚が入っているだけであった。呆気とも想像の消失とも、この葉っぱが何の事なのか、葉っぱに化けるという昔話に出てくる狐の化身というものか。この葉にいか程の、何の意味があるのかと疑問が沸いたほどであった。この葉に神様の御魂が乗り移るという事なのか? この御札とする中身の葉っぱに向かって手を合わせ、祈ると言う事の奇妙な不可解さに疑問を抱き、盲信的な信仰というものにも思いを巡らし始めた頃であった。
 そして頂いた祝詞集や「神のことば」を何度も読み続けてゆく内に、自分なりに神様と御札との関連性を感得する事ができるようになってきた。

それから1年程が過ぎたあの日、荷田先生夫婦が再び渡来してみえた。その時、私には判らない2つの問いについて伺って見る事にした。当時、私は25歳の頃である。
 その1つとは、「人生とはどのように生きたらよいのか」という事である。もう1つは「私の持つ信念というものを通して良いものなのか」という事であった。最初の問いについては、「感情の起伏を現さぬ事じゃ」というご神勅であった。2つ目は、特に私がこだわっていた質問であり、暫く神様に何らお伺いしている様子の後で、「よい」という返事があった。しかし、その瞬間から私が抱いていた筈の信念というものが消えて、我ながら小恥しい思いが過った。

荷田先生の著書には、他に「因縁」と言う本があり、その中に「前世」という事が載っていた。 私の友人が、自分の「因縁と前生」とは何かと、伺ってみたいと言う事で、私にも一緒に伺わないかという事になり、意思恐縮しながら勇気をしぼり、私も「前生」とやらを伺ってみる事にした。全ての人には前生が有るという。私にもその前生が有るという事を伺う前に、今一度、前生とはどのようなものなのか、何の為にそのような事を知る必要があるのかを伺ってみた。

 我々がこの現生に持つ貴賎(きせん)というものも、前生からの因縁によるものという事であった。その「因縁」とは、今生の人生や生活環境にも関わるものであり、己に纏わる前生からの霊障や、先祖代々からその家系に纏わる霊障などを指すという事のようである。
 我々には持って生まれた穢れた性質や、食物、行為によって作り上げてきた血の穢れがあると言う。これらの穢れと穢れがさらなる因縁を作り、同じような因縁を背負った者同士が集まって血統となると。前生の時の行為によって、人をあやめたり人を騙したりと、そこに(おとしい)れられた前世の仏霊(死者)達の怨念によって、我々の今生の身や家系に障って不幸に陥れる死者達の霊障を因縁というらしい。その因縁を切る為には、お大師様(弘法大師)の力を借りて修法し、前生からの障りや家系に纏わる先祖からの霊障を取り除く事を因縁供養という。
 その神仏や弘法大師のような御仏に通ずる霊能力を備える者を、神通力者というのである。悪因縁こそ我々根本の不幸の原因であると共に、我々は今生も知らず知らずの内に、また故意的にも穢れた新たな悪因縁を作っている事が多いのである。そのような因縁をもつ前生を知ることによって、今生はそれら自らの悪癖を矯正し、その行為を改めてゆく事が出来ると言うのである。

先ずは、私の「前生」について伺ってみた。
 教祖が神様を奉る神前の前に座り、夫(管長)が聞き手となって側面に座り、我々はその後方に座した。教祖が先ず、(みそぎ)の祓いの祝詞を唱えて神を降憑(こうひょう)させる。合掌し「うん」という気合と共に静止し、管長が教祖に降りた神様に向かい「この者(名前)の前生をお伺い致しますが、如何なる前生の者であったのでしょうか」と伺った。そして再び、教祖が禊ぎの祓いの祝詞を唱えながら、その合掌する手の仕種からゆっくりと、私の前生の様子を手の舞いによって現してゆく。祝詞が終わり、教祖の口を通してゆっくりと穏やかに神様が語り始めた。

「おおよそ…4・500年前じゃ、…京の都とか申すところに生まれた。…貧乏公家の息子として生まれた。…まことに…しかし内福はすごく裕福じゃった。そこでどうしたかと申すにじゃ、…親に蝶よ花よと愛でられて、…親に蝶よ花よと愛でられていたように、好き勝手な事をしておったのじゃな、…己の身の廻りの事によく気を配り、女の姿、形には興味が深く、…昔の者は詩を読み、歌も歌ったじゃろうが、…それは全て慰みで …世の中の事にはあまり興味を持っておらなかったのじゃ。…時代は穏やかで…誠に良い事に…親というよりも…神仏にはよく手を合わせておったのじゃ。…そして人生を無事に全うした。…そのお陰でまたこのように生まれて来ておる。…しかし、今生は神に借りが大きいぞ、…その借りを返して行かねばならん。…それにはどうするかと申すにじゃ、人の言をよく聞いて、努力に努力を重ねることじゃ」、…「また身分高き身に生まれ変わっておるのじゃからな、人に上に立って行かねばいかん」としかりであった。

 そして管長がその直後、「神様にお伺い致しますが、この者、衣服装飾を飾り、派手にしておりますが、このような事は如何でございましょうか?」と伺った。…「よい、不潔にさえしなければそれでよい」との御神勅であった。正正粛々、気の張り詰める緊張した雰囲気の中での一時であり、言われた事はこれまで親から育って来た、私の人生そのものに似ていた。

友人は150年程前の前生で、榎本武揚の家臣として戦い、荒波を越えて北海道に逃れ、その後、函館戦争を経てこの日本の為にと、人生の一生を開拓に捧げたようである。彼は前生の時、「もし人間に来生というものがあるならば、今度は暖かい国に行って日本の為に人生を送りたい」という思いを胸に秘めて、この世を去っていったようである。その前生の願いが今生は彼を美容師としてアメリカに渡らせ、そこを永住の地と目指した彼の今生での願いを叶えさせたと。そこに納得するものがあって彼曰く、「日本の寒い季節が嫌いでカルフォルニアを目指した」ということで、彼の前生からの願いを、神様は叶えさせたというのである。人は生まれ変わってきても、前生のことなど覚えている筈もないが、その思いは深層意識の中に組み込まれた因縁として引き継いでくるのであろう。我々はそれぞれの御神勅を聞いて、2人とも人生に感ずるものがあった。

その後、管長さんから今の御神勅について私に説明があった。「前生が公家であったから、農民、庶民が汗水流して働いた年貢で暮らしていた訳だ。公家と言う公職に有りながら、好き勝手な事をしていたのだろう。その前生の償いを含めて今世は刀を鋏に変えて、美容師という職業に就き、人を綺麗にする事で前生の償いをするようになったのであろう」と。
 人は何故、自らが好むと好まざるに関わらず、運命的とも宿命的とも言われるような生き方をしたり、人生の正業として1つの職業に就いたり、ある生活環境が与えられ、1つの境遇を背負わなければならないような事があるのか。全ては因と縁によって生じてくる結果のようである。

日本に帰国してサロンを経営していたある日のこと。このような事に関心を持つご年輩のお客さんに、私の前生のことを話したことがある。そしたら、その方がこの話に言葉を添えて云うには、「いろいろな職業が社会にあるけれど、男も女も職業に就くにも、それなりな宿縁とか宿業とかがあると想うよ。私なども若い頃からずっと踊りをやっていて、人に教えたり、舞台に立って踊ったりして来たけれど、昔は歌や踊りや琴や笛などの能楽は「神楽(かぐら)」と言って、本来、神様のお祭りの時にその場を清める為のものなのかね。神を祀り祝う為に踊るものであったと言うよ。言ってみれば私達が踊って来たという事も、心を通して神を祝い、その神聖な舞台を清めながら、見る人に楽しんで貰う為のもので、職業に就くにも、それはそれなりの意味や適職というものが、私の前世からもあったと想うよ。美容師に成るための宿縁と言うべきなのかね、貴方にもそんな宿業があるのだろうね」と同意されてしまった。

また家系、先祖の「因縁」については、アメリカ滞在中にお大師様(弘法大師)を降臨させて頂き、先祖に纏わる男女数名の亡霊を呼び出して修法して封印し、前々供養、前供養、本供養の方法について教えて頂いた。そして21日間、先祖に纏わる因縁の仏霊に対して、お線香とお花と甘いものなどの供物をお供えし、心より詫びて供養に勤め、後日、その御封を海に流した。(日本に帰国した後、私本人に纏わる因縁供養の修法をして封印していただき、供養に勤めた。その終日には、御符を川に流すようにという事であった。)

過去を振り返れば、私は少年の頃から交通事故によって生死を彷徨い、屋根から転落して死にそこなったりと、家系に及ぼした私の災難は、両親にとっても気に絶えないものがあったようである。今、私がこうして無事でいられるのも返してみれば、運の強さであったかもしれないが、しかし、人の自殺や他殺、思いもよらない不幸や不可解な病気の原因など、人は偶然とか因果とかに原因をくくっても解明できない事は未だ多く、自らの因縁の深さや先祖代々からの家系の因縁によって引き起こされる事も多いようである。
 これらの経験を通して私は、悪因縁を今生でさらに積み重ねるという事が、今生の不幸をより増す原因となり、自らの来生にも、子孫に対しても悪い影響を及ぼす起因となる事を学んだ時でもあった。

その後、親鸞聖人の教えを布教しに来ていた「親鸞会」の方達との出会いがあった。私の家系が浄土真宗でもある事から親鸞聖人の事については関心があり、仏教の教学を習う良き機縁でもあった。親鸞聖人が浄土宗の開祖である法然上人を師と仰いだ仏教は、阿弥陀如来が衆生の救済に打ち立てる大慈大悲の誓願にひたすら(すが)って救いを請う、二益門法(現生から浄土)に繋がる他力本願の念仏信仰の御利益である。
 当時、親鸞聖人は女人禁制の出家僧の中にあって、女性との愛欲を受け入れて妻帯者となり、子息をもうけている。すべての衆生が阿弥陀如来の慈悲によって救われるという「悪人正機」を説き、御仏の慈愛と菩提心を内に抱えて生きた人である。世に傑出した僧侶の中でも、一番人間臭かったと言われる親鸞聖人は、自らを「愚鈍の親鸞」と称し、「煩悩具足の凡夫であっても、阿弥陀仏の本願を信じてみ名を心に唱えておれば、浄土にゆけるのだ」と。すべての身を弥陀に任せて「南無阿弥陀仏」と唱える念仏は、煩悩や罪業の不浄を清浄して極楽浄土を目指す、最も易行な信仰としての仏教を広めた1人である。

また仏教は大乗仏教としてすべての衆生を救う仏法でありながらも、その信仰への帰依を深く求めてゆけば、それは我が1人のためのものであったと。すべての人を至福に導いてくれる神仏の慈愛の深さもまた、人それぞれの信仰心の中に映し出されてくるところである。

人間の欲というものは本来、苦悩の源でもあり、罪業の基でもある事から、そこから解脱しようとする他力本願の宗派もあれば、自力によって悟りを開いて行こうとする天台宗、禅宗、日蓮宗のような宗派もある。また、真言密教のようにその欲の本質を極めて、生生発展の意欲に変え、福智を成して行こうとする加持、祈祷の立場に立つ宗派もある。

日本でも時世によってこれらの異なる宗派の仏教が存在し始め、また世界の宗教、宗派を見ても教えに異なりはあるものの、その宗教観にみる神、仏の世界観は一元の存在からのものと言える。
 宗教は、それぞれの宗旨の教理、方便に基づいて真理、真相を説き、自我欲による煩悩や苦悩から解脱するように、最も高度に浄められた神仏の世界に心を向けて、究極の至福を求めてゆく実践であり、それを信仰の妙と言うのであろう。
 このように宗教には易行と難行、教理・儀式にも違いがあれど、信仰は宗教を通して、また宗教を越えて個々が精進してゆく心とその行いにこそ、我々が本来人生の究極に求めて止まぬ生活行為なのである。このような人達とのご縁を通して、信仰との契機を深めてゆく事になった私は、良き時代のアメリカ生活を経て帰国の途につく事となった。

続き):信仰と家族
第1章:【生きる】へ 第2章:「希望」へ まえがき あとがき